次世代ゲーミング: 進化する制作/消費/コミュニティの考え方

ゲーミングの将来にかかわる重要な考え方を探る
Brian Crecente
編集者による注記: 著者の Brian Crecente 氏は、ゲーミング サイト Kotaku を開設するとともに、Polygon というサイトを共同開設しました。さらには、『Rolling Stone』および『Varaiety』のビデオゲームの編集者として活躍していました。現在は、Pad and Pixel で、パブリッシャーおよびビデオゲーム業界のためにコンサルタントを務めています。

今回の「次世代ゲーミング」シリーズの記事では、Brian 氏が、主にゲーム業界で活躍しているさまざまな著名人たちにインタビューします。ジャンル/チームの規模/ビジネス モデルなど、次世代ゲーミングに関係する重要なテーマについて、客観的な視点で考察します。


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ビデオゲームは、コードでできており、テクノロジーに支えられています。しかしそれと同時に、曖昧模糊とし進化し続ける観照的な思想や、「プレイ」とか「ゲーム」といった語の定義と含意に関わる哲学などと本質的につながっています。これらの偉大で高尚な思想、考え方の盛衰は、ゲームを下支えし、ビジネス/消費/マーケティングの構造そのものとなっているのです。

たとえば、『Final Fantasy』について考えてみましょう。このシリーズは、おそらく他のどのシリーズよりも、ビデオゲーム業界の展望と成長を明確にしてきました。およそ 35年間に渡って、プラットフォームの潜在能力を証明するものとして存在し続けてきました。新たなプレイ形態やビジネス モデル、新しいテクノロジーをその伝達手段の基礎として受け入れてきたのです。今日でも、『Final Fantasy』は成長し続ける注視すべきシリーズとして生き続けています。そのことは 1987年にローンチしたときと変わりません。魅力に満ちた『FINAL FANTASY VII REMAKE』のリリースと、新作の Netflix での実写版シリーズへの取り組みなどがそれを物語っています。

これは、ゲーム業界の過去/現在/未来を映すまさに重要な例の一つです。

私は、ここ数ヶ月にわたって、デザイン/研究/開発/プレイの領域における 6人の思想家と会いました。ビデオゲーム/開発/ゲームプレイに対する見方やアプローチが今後数年でどのように進化するのか、他の人の考えを明らかにしようとしたのです。
 

Tracy Fullerton 氏は、実験的なゲーム デザイナーであり、南カリフォルニア大学ゲーム課程の教授でもあります。彼女の研究センター (Game Innovation Lab) からは、影響力の大きいインディーゲームが多数作り出されてきました。たとえば、『Cloud』、『flOw』、『Darfur is Dying』、『The Night Journey』、『Walden, a game』などをあげることができます。 


「今日、世界の現状を考えると、明らかに新しくも重要な傾向が認められます」と Fullerton 氏は言います。「それはまず、ゲームが、ほぼあらゆる人々にとってライフラインとなっているということです。ゲームは、ソーシャル ディスタンスの時代にあって、社会的なつながりを提供するものとなっています。巣篭もりを強いられる時代の娯楽であり、すべての親たちが家庭学習の教師とならざるを得ない状況の中で教育的な経験を与えるものにもなっています。このような傾向は、私たちの生活と文化におけるゲームの考え方に永続的な影響を与えていくと私は思っています。」

Fullerton 氏は、恰好の例として自身のゲームである『Walden, a game』をあげるとともに、『どうぶつの森』 (Animal Crossing) にも言及しています。

『Walden, a game』は、オンラインと自宅学習の時代に教育と没頭のための強力なツールとして親と教育者が認識し始めました。一方、『どうぶつの森』は、コミュニティとつながりの感覚を養うためにゲームが強力なツールになりうるということを際立たせました。

「現在の危機を乗り越えようとするなか形成されつつある傾向があります。それは、コアなゲーマーを超えてコミュニティに広く認識されています。すなわち、私たちの社会的および個人的な幸福にとってゲームが重要な役割を果たしているという認識です。将来そのことを踏まえて作成されるゲームは、かなり異なるものになると私は予想しています。単に「マルチプレイヤー」として考えるようなものとは違うものとなるはずです。コミュニティの形成や共有、個人間のつながりの形成といったことが、ゲーム デザインに欠かせない柱として考えられることでしょう。」
この傾向は、ゲームに対する社会的な評価を回復させることにも寄与する、と Fullerton 氏は述べます。「ゲームはこれまで文字通り、文化的に下っ端の扱いを受けてきました。だから、何か問題が起きると、ゲームが社会から糾弾されることが常でした。しかし今や、流れは完全に逆転しました。現在人々にとってゲームが役に立っているとか、私たちを楽しませ続けているとか、つながりを保つことに貢献しているとか、恐怖や退屈とは異なる事柄に気持ちを向けさせることができる、といった報告が聞かれるようになりました。そこで問題は、ゲーム業界がこのような転機にどのように応えることができるかということにあります。たとえば、ゲーム業界は、特定のゲームを使用することができる人々が簡単にそのゲームを入手できるようにする方法を今後見つけることができるでしょうか?あるいは、教師と生徒たちは、教育的に利用できるゲームにアクセスできるでしょうか? ― 教育として分類されているゲームだけではなく、学科で利用することによって教育を強化できるような主流の商用ゲームにもアクセスできるでしょうか?また、(隔離施設や病院などで) 孤立している人々は、社会的なつながりを維持してくれるゲームにアクセスできるでしょうか?」

ゲームの配信プラットフォームが、そのようなゲームをバンドルして、学校や病院に提供するチャンスだ、と彼女は言います。

「私は、ここ数週間でこれまでになく、ゲームをプレイし、私の同僚以外の人たちとゲームについて話し合いました」と彼女は言います。「幽閉された環境により、自宅での楽しみが復活したかのように感じられるのです。」
 
Sjoerd De Jong 氏は、Epic Games のシニア エンジン エバンジェリストです。AAA ゲームの開発、自身のゲーム スタジオの経営、教育など、多用な職種に従事してきました。それによって、リアルタイムで作業することの複雑さについて、広く深い見識を身につけることができました。

「ハードウェアと高速なインターネット アクセスにより開発に課せられていた制約はなくなります。しかし、それ以上に、ゲームを開発する際に、ツールとワークフローがますます重要視されるようになってきています」と Sjoerd De Jong 氏は言います。「少人数のデベロッパーでも単独のデベロッパーでも、今日 Unreal Engine のようなエンジンを利用して出来ることは、驚異的です。ほんの 10年くらい前に業界全体で出来たこととは雲泥の差があります。チュートリアルの数や授業、マーケットプレイス、コミュニティ、Quixel Megascans のようなコンテンツ ライブラリも、これまでにないほどの充実しています。開発への入りやすさと開発のテンポがものすごく向上しました。そのため、私たちは一層多彩なゲームと一層変化に富んだゲームを目にするようになりました。新たなニッチも成長しています。ゲームの制作は、大いに取り組みやすくなり、その変化は継続するように運命づけられています。」

De Jong 氏は、高度に技術的なスタイルから、既存の機能を利用する創造というスタイルへの変化を、写真術の進化になぞらえます。写真という表現手段は、技術的な制約とプロセスによって支配されていたけれども、今日では、テクノロジーの進歩のおかげで、すごい写真が非常にスムーズに撮れるようになったと彼は言います。 

「AAA および本流のゲームはそのまま残るはずです」と彼は付け加えます。「それどころか、一層強固なものとなり、将来的にはその部門のゲームによる市場の優位性はますます強くなるのではないかと思います。しかし、すでに影響をもち始め、発展し続けることになるであろうゲーム内のサブコミュニティとニッチな分野について考えると、これらは、「ゲームとは何か」という問いに同じくらい重大な影響を持ち続けることになるはずです。」

De Jong 氏の見立てでは、テクノロジーの持続的な進歩と、ゲームが本流の表現形態としての飽和点に達することによって、ゲームは偏在的な存在となり、あらゆる表現形態のエンターテイメントを最も力強く牽引するようになるとのことです。

「映画/テレビ/音楽/スポーツとゲームの境界線はあいまいとなり、IP やコンテンツは、簡単にこれらの多用な表現形態の間で共有されることになりそうです。ますます多くのハイブリッドなものが誕生したり、少なくても、コラボレーションが広範囲で行われそうですね」と彼は予測します。「現在私たちが『フォートナイト』でコンサートや IP のクロスオーバーなどによって目にしているものは、今述べた予測の始まりと言えるでしょう。そして最終的に、このような試みは格段に深化することになるでしょう。」

彼はまた、社会のさらに多くの層にビデオゲームが受け入れられるようになるにつれて、教育などといった分野でより大きな役割を果たすようになると考えています。

 

「ゲーム エンジンは現在さまざまな業界で活用されています。多くの自動車産業、建築業と工学、シミュレーションと訓練、映画とテレビ、銀行などでも利用が見られます」と De Jong 氏は指摘します。「このような状況によって、将来私たちが経験することになるものはどのようなものでしょうか。それは、ゲーム以外の業界へのコラボレーションとクロスオーバーがさらに進んだものでしょう。そして、このことによって境界線がさらにぼやけるという最初の議論に戻ります。」

最後に、De Jong 氏は、さらにリアルなコンピュータ グラフィックスを追求する競争は、これまでと同様に今日でも重要であると考えています。彼は、レイトレーシングや Nanite を通じて実現するポリゴン数の増加などにより、ライティングなどの分野における最近の進歩について指摘しています。

「私たちの標準はこれからも変わり続けることでしょう。今から 10年後に現在のことを振り返ってみたら、古臭いと思うはずです」と彼は述べます。「だからと言って、ゲームの面白みがなくなったり、ゲームプレイが陳腐になる、ということではありません。むしろ、そのような進歩によって未来が可能になるのです。それは、どのような規模のチームにとってもです。私は、多くの小規模スタジオが驚異的な見栄えのする Unreal Engine ゲームを制作しているのが見えます。これは、まさにそのような進歩のおかげなのです。どのような規模のチームであっても、それが一人だけのデベロッパーであっても、簡単に、驚異的な見栄えのゲームを制作できる世界について想像してみましょう。しかも、ゲームだけではなく、映画/テレビシリーズや他の創造的作品もそのような形態で制作できる世界を。これは、きっと可能なことでしょう。そして、この夢こそ、私たちが追い求めてきたものであり、これからも求め続けるものなのです。」
 
Naomi Clark 氏は、20年以上にわたり、ゲームのデザイン、著作、プロデュースを行ってきました。また、さまざまなプラットフォームとユーザーを対象とするゲームを制作するために必要となる支援を行ってきました。そのゲームは多岐にわたり、LEGO Group の子供のための建設ゲーム、楽しいストラテジーゲーム、モバイル用シミュレーション/経営ゲーム、カンファレンスと教室のためのゲームなどが挙げられます。彼女は NYU Game Center の教員であり、ゲームデザインの基礎やユーザーのリサーチ、テーブルトップ ロールプレイング ゲームの知られざる側面などについて授業を行っています。彼女の最新のゲームは、『Consentacle』です。これは、2 人のプレイヤーが行うカードゲームであり、親密さや信頼、コミュニケーションが題材となっています。

「ビデオゲームの主要な牽引力として喧伝されてきたテクノロジーは、30年という長期にわたり使われてきましたが、ついにその最終地点に達しつつあるようです」と Clark 氏は語ります。「その水脈はほぼ枯れようとしています。PC 向けビデオゲームのためのハードウェアの新たな計画と、Microsoft と Sony の次世代コンソールについて思いを巡らせば、その主役となるのは、バーチャルな世界の迫真性を向上させる極上のテクノロジーになると思われます。しかし、どのようなタイプのゲームが作成されつつあり、人々がゲームについてどのような話をしているのかということを考えてみれば、私は、収穫逓減の法則が発動している過程にあると確信するようになりました。つまり、演算能力が飛躍的に増大しているにもかかわらず、それに見合う効果が急速に小さくなってきたのです。」

「この世代のあとは、コンソールのメーカーがさらに競争力のあるハードウェアを開発することは難しくなるでしょう。このことは、Microsoft も Sony もわかっているようです。今後は、そのことによって、ゲーム制作で重点を置くべき場所や、ゲームに入れるべきエンターテイメントの価値が変化することになるでしょう。」

将来的に、重要視されるのは一層ユーザーということになります。ユーザーをどのように分割するか、どのようにターゲッティングし、その需要に応えていくか、ということに焦点が移行すると Clark 氏は考えています。

「デベロッパーは、テクノロジーの追求がユーザー獲得の王道だとするのではなく、さまざまな方法でユーザーを獲得しなければならなくなるでしょう」と彼女は述べます。「これまでなら、投資対象となるゲームの種類を想定することは、やや簡単なことでした。その理由の一つには、投資の多くがテクノロジーとコンソールのライフサイクルによって牽引され決定されていたという経緯があったからです。」
ということは、最大手のゲームシリーズであっても、大々的なビジュアルという手法を超えたやり方で経験を差別化するように努力することになるはずです。それには、ナラティブやオンライン プレイ、ゲームの「フレーバー」のためにもっと多くのイノベーションを推進することが含まれることになるかもしれません。Clark 氏によると、市場の断片化によって業界の形態は再編成されるとのことですが、前述の差別化への努力もそれと同時並行的に行われることになります。

「ゲーム業界は全体として急速に複数の業種に分かれつつあります」と Clark 氏は言います。「1 つの業種として留まることはもうないでしょう。GDC に参加してみれば、聴衆が一種類ではなくなってきたのが感じるはずです。聴衆はさまざまな人々から構成されており、サービスに注目する人もいれば、製品に注目する人もいます。これらの人たちを結びつけているのは、ゲームという単語です。しかし、たとえば、インタラクティブなナラティブは、本当にゲームと言えるのでしょうか?このようなものをすべてゲームとして扱うようにしてきたのが、これまでの私たちの考え方でした。」

「それがゲームであるのか、ゲームでないのかを定義するには、プレイとその製品を見るべきでしょう。未来のゲームメーカーは、おそらく、プレイを設計し具現化するとはどういうことなのか、ということにもっと注目することになるでしょう」と Clark 氏は述べます。

「明確な意図をもってプレイを作成するというやり方は、まだ歴史が浅いです。ビデオゲームが出回るようになってから、それほど長い時間が経過したわけではないのです」と彼女は語ります。「それだからこそ私はまだプレイというものに期待感をもっています。まだ十分な時間携わっているわけではないとも言えます。だから多くの試行錯誤を行っているのです。」
 
Ian Bogost 氏は、ライターであり、受賞経歴をもつゲーム デザイナーでもありす。彼は、メディア学における Ivan Allen College の殊勲教授であるとともに、Georgia Institute of Technology でコンピューティング/建築/ビジネスの教授も務めています。また、Bogost 氏は、インディー系ゲーム スタジオ Persuasive Games LLC の共同設立者であり、The Atlantic の寄稿編集者でもあります。著作または共同著作は 10 冊にのぼり、最新作は『Play Anything』です。また、手掛けたインディー系ゲームには、『Cow Clicker』という Facebook のゲームを風刺した悪名高い Facebook ゲームと、Atari VCS 向けのビデオゲームのポエム集『A Slow Year』があります。後者は、2010年の IndieCade Festival で Vanguard and Virtuoso 賞を受賞しました。

「もしもテレビしかなくなったら、どうなるのだろうか?」と Bogost 氏は問いかけます。「もしもテレビが、次世代のゲームと文化において主役という役割を果たすとしたら、どうなるのだろうか?」

「この考えが浮かんだのは、」と彼は言います。「Naughty Dog の『The Last of Us』がテレビ シリーズになるという HBO のニュースについて考えていたときです。それによって、Netflix の『The Witcher』による成功や e スポーツの人気、ゲームのストリーミングが一般的に行われていることが頭に浮かんだのです。」

「テレビは 20世紀の勝者です」と彼は語ります。「インターネットやソーシャル メディアは確かに尋常ではない影響力があり強力です。ただし、これらは、テレビの進化形であるという側面もあります。たとえば、YouTube や Twitch、TikTok などがその例です。テレビは依然として多大な人気を誇り、まだまだ力があります。ゲームはこれまで、重力に引き寄せられるようにして自らを未来に適応させてきましたが、それはあたかも、テレビという従来型の進化済みメディアがもつ勢いと力に便乗することによって行われてきたかのように思えます。私たちはこのことについて、正直にオープンに話しているようには思えません。
Bogost 氏にとっては、人々が『フォートナイト』のようなゲームをプレイしているとき、ビデオゲームというよりも従来のテレビを見ているかのように思われるそうです。

「いつもの習慣ですね」と彼は指摘します。「みんなは、タブレットやテレビに接続しているコンソールの前に座ってゲームをします。問題を解決するためにそうしているのではなく、ただそうするものだから、そうしているだけです。そして、後で『ローアンドオーダー』や HGTV を見たときのように、友人と感想を語り合うのです。」

これで、話は、先ほどの『The Last of Us』と HBO の話につながります。

「Netflix や HBO は、このようなゲームを取り入れながら、こう告白しているように私には思えます。すなわち、大規模なコンソール ゲームまたは PC ゲームを目指すナラティブの野心も、結局のところマイナーリーグでの努力であると気づくことになると。ゲームはトライアウトを受けてから、スクリプトが付いた従来型のエンターテイメントへと姿を変えられるのです。ハリウッドが素材を探し求めて出版業界を掘り起こし、映画やテレビ用に作品を翻案するのと同じですね。」

突き詰めて考えると、ビデオゲームのようなメディアは、テレビや映画を追い抜こうとしているのではなく、それらの力につながろうとしているということになります。もちろん、同様のことは、テレビや映画にも言えます。これらのメディアも、ゲームと共生関係をもとうとしているのですから。

「ゲームのゲームたるゆえんは、たたき台もしくは実験場のようなものだという点にあります。現実の物事が徹底的に分析されます。もしかすると、これが長期的な成功を収めるやり方なのかもしれません」と彼は言います。
この考え方は、Bogost 氏のゲームの将来の道に関する考え方にも通じます。ゲーム業界の大きな障壁となっているものは、どれほど傑作であっても、そのようなゲームをプレイするのに必要となる背景的な知識や親しみやすさということがネックとなって、潜在的に限られた範囲のユーザーしかもてないのが普通であるという事実です。

「このことは、Netflix を起動したり、iPhone のアプリをダウンロードする場合の簡単さと比べたらよくわかりますね」と彼は言います。

このような教訓を生かしたかのようにして、ゲームを成功に導いた例があります。Bogost 氏は、『フォートナイト』のことを引き合いに出します。彼の考えるところによれば、このゲームの最大のイノベーションは、相互運用性にあるということです。『フォートナイト』はほぼどのプラットフォームでもプレイできるのですから。

「とても簡単なことですよね。この教訓はもっと前から生かすべきでした」と彼は指摘します。『キャンディークラッシュ』もその例に加えることができると言います。非常に簡単にゲームを開始できるため、莫大な数のユーザーを抱えることができるようになったのです。

「これは、技術的なイノベーションに関わることではなく、ユーザーの流れに関わる教訓でした」と彼は述べます。「今日では VR や AR などがそうですが、そのようなテクノロジーに執着してきたため、ゲーム業界は、多数のユーザーにアクセスできる非常に簡単で革新的な方法から目をそらす結果になったのです。」
 
Amy Hennig 氏は、ゲーム業界で 30年の活動歴をもつベテランです。多数のタイトルでクリエイティブ ディレクターやリード ライターとして活躍してきました。携わったタイトルには、Naughty Dog の『アンチャーテッド』シリーズや、Crystal Dynamic の『レガシー・オブ・ケイン ソウル・リーヴァー』などが挙げられます。彼女は、インタラクティブなストーリーテリングにおける新たなフロンティアを探るために、Skydance Media と提携したと発表しています。

「従来型の AAA ゲームの開発は、現在、ハリウッドの大作主義の時代を反映しているように思われます。(規模やスペクタクル、スケジュール、チームのサイズという観点において) とどまることを知らない開発コストにより、今後は、より少ない回数でより大きく投資するという現象が見られることでしょう」と Hennig 氏は説明します。「大規模なパブリッシャーやスタジオは、AAA 型開発に対する投資を倍増させるでしょうが、一層リスク回避的な投資を行うはずです。対象となるジャンルは狭くなり、評価が確立されているシリーズだけに頼りながら、規模と複雑性を増大させることになるでしょう。可能な限り広範囲なユーザーに訴求するためにできるだけ多くの機能ボックスにチェックを入れれるようにするべしというプレッシャーも加わるでしょう。しかし、コストの上昇やスケジュールの長期化、チームの大規模化にともなって (それらのゲームをプレイし終えるプレイヤー数の減少もともなって) 、こんな疑問が頭に浮かびます: このやり方は持続可能なのだろうか?」

Hennig 氏は、ゲーム界は、クラウドによる新たなゲーム サービスを提供し始めるはずだ、とも述べています。
「現在あるほぼあらゆるゲームは、この新たなプラットフォームでストリーミングできるかもしれませんが、クラウドに接続したときにのみプレイ可能なコンテンツを制作するデベロッパーは少ないでしょう」と彼女は言います。「これらの新たなゲームは、AI や大規模な物理、パーシスタントなワールドなどのために、演算リソースのスケーラビリティをフルに生かすことになるでしょう。できれば、これらの新たな経験は、AAA ゲームで現在見られるジャンルを超えて進化してほしいものですが、少なくても、これまで見たことのない豊かなオープン ワールドとなるはずです。このような空間では、考慮すべき経済的な問題も新たに生じます (クラウド リソースを大量に使うゲームにかかる提供コストは、現在あるほとんどのゲームよりもかなり割高となるはずです。豊富なオンライン機能をもつゲームと比べてみてもそうなるはずです。) 」

最終的には、Google の Stadia や Microsoft の xCloud といったストリーミング プラットフォームが成熟していくことで、ものすごく複雑なゲームへのユニバーサル アクセスが提供されることになり、それによって、しっかりとした良い方向への変化が業界にもたらされるはずだと Hennig 氏は見ています。

「ほぼどのようなデバイスでもトップレベルのパフォーマンスにアクセスできることにより、ゲームはワクワクするようなものになるでしょう」と彼女は言います。「AAA 級コンテンツをプレイするために、500 ドルのコンソールや高価なゲーミング PC を買う必要はなくなるはずです。それによって、ゲームのユーザーは大いに増加することになります。もっとワクワクすることには、クラウド ストリーミングのサービスによって、私たちは、さらに多数ひかえている主流のユーザーを獲得する能力をもてるようになります。家庭にすでにストリーミングされているテレビや映画といったものと同列のクオリティで、高忠実度のインタラクティブなコンテンツが提供されるからです。」
クラウドベースのゲームによってゲーム業界とエンターテイメントの景色全体が変容するにつれて、ゲームをする人/しない人という考え方は消えてなくなると Hennig 氏は見ています。

「プレイというのは、人間の本質的な習性だと私は思っています。ナラティブが充実し、感動的なビジュアルが展開され、インタラクティブの魅力をもつ経験を制作すると、家庭の中にいる "ゲームをしない人" が、その家族の中にいる "ゲームをする人" と同じように、その経験に対して投資するのを、これまで私たちは確かに見てきました」と彼女は証言します。「探検や発見、謎、謎解きといったものが中心となる経験は、非ゲーマーにも、ずっとプレイしてきたゲーマーにも同じように求められているものなのです。」

「数年後には、必然的に、高忠実度のインタラクティブな経験が、現在ストリーミングしている線形コンテンツと併存していることに何の違和感もなく気づくことになるでしょう。ただし、この変化を実現するためには、準備が必要となります。それは、より多くのユーザーのいるところまで彼らと会いに行くことです。つまり、彼らにとって魅力的なコンテンツを制作することなのです。既存のコンテンツをトロイの木馬のようにそれらユーザーたちに送り込み、その人たちを何らかの方法でゲーマーに "変換" してしまうのではいけません。私が思うに、その準備のためには、私たち側で謙虚になる必要があるはずです。ゲーム デザインのドグマについて再検討し、新たなジャンルや仕組み、ユーザー入力手段を探求するのです。」

「その結果、」と彼女は続けます。「ゲーマーにとっても非ゲーマーにとっても創造的でインタラクティブなコンテンツが爆発的に生み出され、ユーザーは桁違いに伸びます。私たちは、"インタラクティブの黄金時代" を目撃することになります。デジタル配信がテレビの黄金時代を招いたようにです。」
 
Rami Ismail 氏は、オランダの独立系スタジオ Vlambeer を運営する二人組の一人です。よく知られている作品としては、『Nuclear Throne』、『Ridiculous Fishing』、『LUFTRAUSERS』、『Super Crate Box』があげられます。彼は、世界中のゲーム開発とゲーム関連の取り組みを熱心に支援しています。また、ユビキタスな Presskit() ツールセットの作成者でもあり、gamedev.world バーチャル カンファレンスのエグゼクティブ ディレクターも務めています。

 

「ここ 5~10年前から起こったことで非常に大きな出来事には、ビデオゲームの用語が爆発的に増えたということがあげられます」と彼は指摘します。

Ismail 氏が考えるに、その原因の一つには、ゲーム産業とそれを推進するテクノロジーが、ゲームを動かす計算方法 ― たとえば、コリジョン、物理、動きなどの計算方法 ― をいわゆる発見したということがあります。そして、グラフィカルな最高度の忠実度にあまり固執しないスタイルの創造に揺り戻ったこともその原因の一つです。コミュニケーションをとれるものに集中するようになったのです。

「大規模なゲームの状況を見渡すと、暴力的な要素をもつものもありますが、多くはコミュニティ ベースになっていたり、組み立てが中心となっています」と彼は指摘します。「飛んだり戦ったりすることには背を向けて、友人に目を向けるようになってきたことがわかります。」
そのような経験の広がりには、Ismail 氏が「健全なゲーム」の隆盛と呼んでいるものが含まれています。

「たとえば、『どうぶつの森』のような、そこにいるとくつろげるようなゲームは、健全なゲームに入ります」と彼は説明します。「今大きな注目を得ている多くのゲームは、この健全なジャンルに該当します。この状況はとてもワクワクします。なぜなら、デベロッパーは "どのようにヒットさせ、どのように撃ち、どのようにジャンプするか?" という問題に戻ることはなくなり、"どのように交流して、どのように育て、どのように大きくするか?" ということに関心が向くことになるからです。」

ゲーム開発におけるこの成長は、ゲームをゲームたらしめているものの再定義と同調していると、彼は付け加えます。従来の定義でのゲームは、勝敗のルールと方法をともなったプレイの構造的形態となります。これがこれまで進化を遂げ、勝敗は必ずしもゲームの重要な要素ではないと認識されるに至ったのです。
 
Jade Raymond 氏は、Google の Stadia Games and Entertainment でバイスプレジデント兼ヘッドを務めています。氏は、過去 20年にわたり、ゲーム開発のあらゆる面に情熱を傾けてきました。プログラミングやデザイン、制作、スタジオの代表、重役としての仕事において重要な役回りを演じてきました。彼女の活動で最もよく知られているのが、『アサシン クリード』シリーズと『ウォッチドッグス』シリーズの制作を支援したこと、そして、Ubisoft Toronto スタジオを設立したことです。Google に加わる前は、Electronic Arts の PopCap Vancouver と、彼女が 2015年に設立した Motive Studios において、シニア バイスプレジデントおよびグループ ジェネラル マネージャーを務めていました。氏は、Videogame Critics Circle から 2019 Legend Award を、また 2018 Guggenheim Museum Games Festival において Pioneer Award を受賞しています。

「ゲームがそれほどゲーム的でなくなりつつあることを、私たちはすでに目にしています。余暇やつながりをもつための手段や、社会的な交流をもつための手段、社会的な交流をもちながら行うようなことに変わりつつあるのです」と Raymond 氏は言います。「大人たちが集まってゴルフをするときのことを考えてみましょう。確かにゴルフはプレイしますが、実際のところは、歩きまわったり、会話したり、友人たちと過ごす機会を得たりすることがゴルフをするということなのです。集まってするどのスポーツもそれと同じことが言えます。」

「『フォートナイト』が格好の例です。だれが死んだかとか、マッチでどのくらい良い結果を出したかなどは、あまり大したことではありません。そこで友だちと一緒に過ごし、おしゃべりをしたということこそが重要なのです。」

ゲームが、プレイのためのプラットフォームから、プレイとコミュニティのためのプラットフォームへと、このように変化してからかなり経ちますが、Raymond 氏によると、最近のステイホームという必要性に迫られて、この変化が加速し、ゲームが、格段に重要な社会的プラットフォームになったと言います。この状況によって、デベロッパーとパブリッシャーたちは、人々を社会的に結びつける異なるタイプの余暇について改めて研究し、そのことをどのようにしてゲームに応用できるか理解する良い機会となると、氏は言います。
「現在のところ、ゲームは、依然としてかなり狭く感じられる余暇となっています」と彼女は言います。「私にとって重要な問題は、近所のバーに相当するものは何か、とか、パブでのクイズ大会をどこで開くことができるか、とか、どこで会話できるか、とか、ボードゲームやカードゲームをどこでプレイできるかということです。ゲームではそのような機会をもてると私は思っています。」

また、従来のゲームのモデル ― 次のレベルに到達するために果たさなければならない過酷な挑戦にプレイヤーを向かわせるモデル ― は、自己表現をもっと重視する他の形態のモデルに道を譲るようになったと氏は考えています。

「そのような形態をとらないゲームであっても、クリエイターモードを取り入れたり、創造できるモードがよりアクセスしやすくなっています」と氏は指摘します。そして、ゲーム内でレベルを作り出すようなものでなくても、共有する値のある経験を創出するゲームになってきています。

「人々は、逸話を作り出す工場がほしいのです」と氏は説きます。「人々が共有しているものは、個人的なものであり、経験のようなものだと思われます。」

このことによって、より多くのデベロッパーが考え始めたことがあります。すなわち、より個人的な経験であり、かつ、プレイヤーたちによって共有される価値のある経験を提供するゲームは、どのようにすると作り出すことができるのだろうか、ということです。

Raymond 氏は、Ubisoft の『ファークライ』シリーズが、早いうちからこの手法を適用したゲームだと指摘します。これらのゲームではサンドボックスが提供され、プレイヤーはプレイヤー自身をある意味反映させた経験を作り出すことができます。その結果、しばしば、井戸端会議的なコミュニケーションに発展し、ゲームに関するユーザーの認知度が上昇することになったのです。

インターネットにとって今後大きな問題となるのは経験だと Raymond 氏は予測します。ビデオが推進力になった時代から離れて行くのです。
「私たちは、経験のインターネット時代に突入して行くと思います」と氏は述べます。人々は、何かについてドキュメントや本を読んだり、そのことを説明するビデオを見るためにインターネットを使うのではなく、今後ますます、インタラクティブな経験を検索して見つけ、その情報とともにプレイするようになるでしょう。そのような時代は、ゲームやゲームのような経験によって牽引されるとともに、確実に、ゲームを作成するためにこれまでよく使われてきたツールによっても推進されることになると氏は考えています。

『アサシン クリード オリジンズ: ディスカバリーツアー』モード (ユーザーは、戦闘やゲームプレイすることなく古代エジプトを探索できるモード) のようなゲームがその一例です。Raymond 氏は、このような経験を作り出すツールがもっと使いやすくなれば、その種の作品がさらに多く登場することになるだろうと見ています。

「私は、興味深い転換点が訪れると見ています。人々がみなゲームをプレイするようになり、ゲームのツールがすべて一層アクセスしやすくなり、そして、突如として、ゲームの範疇や、インタラクティブでイマーシブな経験の範疇があらゆる方向に向かって広がり、これまで探しもしなかったことまで包括するようになると思うのです。」

「このような興味深いテクノロジーが進化し、ますます素晴らしいツールに向かって開発が進むのと並行して、ゲームの定義とか、イマーシブでインタラクティブな経験によって人々が得ることができるものが、どんどん拡張されていくことになるでしょう。これは凄い楽しみなことです。」

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注記: インタビューでの発言は、わかりやすくするために、編集されています。

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